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梅林橋は南庭の北湖と西湖を結ぶ流路に架かっている色あざやかな朱塗りの橋。別名“赤橋”とも呼ばれ、北湖の西岸付近の庭景、そして松と芝生の緑一色の湖景にアクセントをつけています。すぐ近くには南の梅林が静かなたたずまいをみせており、そのなかで最も 梅林橋寄りにある梅の木は冬至梅と呼ばれる種類。公園内でいちばん早く1月中下旬ごろには可憐でかわいい花を結びます。 |
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1602(慶長7)年、築城。二ノ丸・三ノ丸を従えた連立式平山城。城内は、松山の歴史を伝える資料館です。屋根の反りがないのが特徴。頂上までは、ロ−プウェイでも“登城”できます。 |
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丸亀藩主京極家の別館跡で、中央に琵琶湖と近江八景を模した八景池を置き、それらを橋で結んだ回遊式の大名庭園です。園内には、バルビゾン派の名画を集めた絵画館、ペルシャ陶器などを展示した陶器館、江戸から大正時代の雛人形などを集めたひいな館などがあります。 |
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「伊予柑」(イヨカン)での旬は早生種が12月から2月で、普通種では3月から4月にかけてになっており、明治19年に山口県でミカン類とオレンジ類の雑種として発見され、その当初には穴門ミカンと呼ばれてもいましたが明治22年に愛媛県松山市の三好保徳氏が原木を購入し松山周辺にて産地の形成を行ったとされているようです。 |
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土佐和紙発祥の地として知られる伊野町は、早くから製紙の技術がつたわり、藩政時代には藩の御用紙の製造地として保護をうけた土佐和紙のふるさと。「土佐和紙工芸村」は、この地に育まれた和紙文化だけでなく和そのものがテ−マの滞在型カルチャ−リゾ−トゾ−ンです。白壁の蔵が立ち並ぶ村内は、紙漉きや炭焼き体験、クアハウス……1日では満足できない楽しさが盛りだくさん。 |
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通称「ことでん(コトデン・琴電)」と呼ばれていることが多いようで、始発から終点までの所要時間が、琴平線でほぼ1時間、長尾線で約40分、志度線だと約35分程度で終着駅に到着できているようです。また、琴平線の一部(始発の築港駅〜太田駅?で、近い将来一宮駅[用地は確保済み]まで複線となり、また、空港通り駅では、既に複線用に建設されているとか。)では複線となっていますが、他路線では、残念ながら単線となっており、その上、現時点では、通勤をするにしても自家用車での利用が多くなっており、半世紀前後あたりの通勤時には3〜4車両?だった記憶もあり、現在では、殆ど2車両になっているようです。 |
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四国八十八箇所霊場第二十三番札所で主に厄除けの寺として名を馳せているようです。(醫王山無量寿院)薬王寺は神亀3年(西暦726年)聖武天皇の勅願を受け行基菩薩が巡鍚をし建立されたと言われています。また、寺名にある薬王とは、薬の王であることを意味しているそうです。 |
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大正7年6月1日、この地でドイツ兵俘虜によって、日本で初めてベ−ト−ベンの交響曲「第九」が演奏されました。ドイツ人と地元徳島の人々の間にはあたたかな交流があり、当時をしのばせる写真や日用品、俘虜の遺品などがハイテク映像なども交えて紹介されています。近くには友愛の碑、ばんどうの鐘、ドイツ橋などもあります。 |
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1772年(安永元年)の六代領主(酢尾重茂澄 氏)が家塾「名教館」を創設されたと言われており、1802年(享和二年)に七代繁寛 氏が拡楯し郷校され、また、明治維新には再開されており多数の先覚者たちが輩出されたそうです。後に「名教館」の玄関部分(1887年)を佐川尋常小学校(現佐川小学校)へ移築を実施したそうです。 |
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「見残し」の由来としては、遥か昔、弘法大師が、この海岸を見残してしまったことから始まったと言われていることもある程の難所で、非常に見逃せない迫力のある景色が楽しめるのではないでしょうか。 |