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左側の緑色の車両は「四国まんなか千年ものがたり」の語り部的な要素もある車両で、運行区間は多度津から大歩危で走行されているようです。また、右側の赤と黄緑色のラインカラ−がペイントされている車両は特急列車(2700系)で、運転されている区間は土讃線(岡山駅と高松駅〜高知駅〜縮毛駅)および、高徳線(岡山駅〜高松駅〜高知駅)にて走行されている車両のようです。それぞれ詳しい情報につきましては、JR四国サイトで掲載もされていますので、ぜひ、閲覧いただければと思います。 |
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四国四県で電力などを供給されている電力会社で、四国で暮らされている方にとっては、非常に重要な施設でもあるかと思えます。まずは、サイトにてご確認いただいてみては如何でしょう。 |
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標高290mからの市内撮影で、青い空と広々とした太平洋、そして日本一級河川の吉野川(主流)支流を望む眉山頭頂周辺での撮影風景だと思えます。交通のアクセスとしては徳島駅から徒歩10分の程度とは言われているようですが、眉山への山頂に向かうためには乗物が必須だと思えますが、なんとロ−プウェイ(運休の可能性もあります。)の整備もなされているようですのでご安心ください。 |
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明治2年(1869年)に廃城となり、現在では城跡として国指定の史跡・名勝(表御殿庭園)となっており、主な城主は蜂須賀氏(日本の氏族)で羽柴秀吉氏に仕えた正勝氏の一族だと言われているようです。 |
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腕山の南斜面に位置し、吉野川の支流の松尾川が約2kmにわたって高さ400mもの大絶壁を刻んでいます。その雄大なスケ−ルは県下有数といわれ、春夏秋冬−四季おりおりに風趣あふれる景観で訪れる人びとを迎えてくれます。とりわけ全山が燃えあがるような秋の紅葉の季節は素晴らしく、剣山国定公園の一環をなす景勝地となっています。 |
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関ヶ原の戦への功により20万石の領を受け取った藤堂高虎氏が、瀬戸内海に面した海沿いに築いた平城、別名「吹揚城(ふきあげじょう)」は、慶長7年(1602年)より築城を始め、玉藻城(香川県高松市)と同様に海水が引かれた堀には港としては国内最大級の入港を備えた日本屈指の海城です。その後、寛永12年(1635年)には松平(久松)氏の居城にされたそうです。しかし、明治維新後には殆どが取り壊され内堀と主郭部の石垣のみ残されましたが、昭和55年(1980年)以降、主郭部跡には天守を始めに櫓、門などの再建築が進みつつあるようです。 |
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弘法大師生誕の地として有名な真言宗善通寺派総本山、四国霊場第75番札所。東院と西院からなり、東には金堂・五重塔・鐘楼、西には(大師が生まれた)御影堂を中心に諸堂が立ち並びます。西の宝物館には「一字一仏法華経序品」などの国宝が培められています。 |
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大歩危に「四国三郎」との異名を持つ吉野川では水も豊かであるため流れも早く、また、上流に遡ると両岸に急崚な傾斜面の岸壁も迫っており、そのV字谷のことを大歩危・小歩危という地名でも有名な難所でもあり、行く手を阻む地域としても有名だったようです。 |
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本来であれば「その他」にて掲載させていただいても良いかと思えますが、風光明媚+良風美俗感漂う様に思えましたので、ついつい愛媛県のジャンルにしてしまいました。JR四国旅客鉄道予讃線の駅で観光列車「伊予灘ものがたり」では停車される小さな駅でもあり、この美しい環境で愛を告げれれると・・・。しかし、次の電車が停車されるには、若干、時間も掛かりそうに思えます??目の前にある海は穏やかそうな瀬戸内海だと思えますが、もう少し南下されると荒海に変貌される太平洋の海へと移り替わってしまうように思えます。 |
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山合いに湧く単純硫化水素系の温泉。周辺には滝や渓流など見所も多くありますが、春の桜と秋の紅葉の季節には、特に美しさを増します。ホテル・旅館・ペンション・民宿が軒を連ねる温泉郷は、高松市内や空港からも近く、避暑や行楽で賑わっています。 |