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基本的には、毎週月曜日が休館日となっているようです。また、コロナウイルスの為だと思われますが、しばらくの間、閉館されていたそうです。しかし、6月1日より開館された模様のようです。ところで、この施設、瀬戸内地方の歴史・民俗などに関する資料の収集、保管、調査、研究などを行いつつ可能なアイテムの展示を行っている資料館です。1973年(昭和48年)11月3日より一般公開された施設です。詳しくは「瀬戸内海歴史民俗資料館」よりご確認下さい。 |
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四国の鳴門市(徳島県)と本州の神戸市(兵庫県)を結ぶ大橋は絶景とも言える程のドライブスポットで、特に眼下に迫る鳴門の渦潮は迫力満点の景観だと思えます。しかし、高速道路としての走行規則もある為、その高鳴る感動は脳裏への想いとなる刺激には、若干、潜められいるのかもしれません。 |
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四国霊場1番札所。天平年間(729〜749年)に、聖武天皇の勅願により僧行基が開基したと言われ、いまも“一番さん”の愛称で親しまれています。入母屋造の仁王門をくぐれば、静かなたたずまいの古刹が開け、四国八十八カ所巡りへの思いを新たにします。 |
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上芳我家は、晒蝋の生産で繁栄した本芳我家の分家にあたり、その邸宅が木蝋の資料館として保存されています。旧家が残る内子町内でも、最も風格がある上芳我邸(国の重要文化財に指定)は、江戸から明治時代にかけての木蝋産業の隆盛をいまに伝えています。※木蝋は、ハポの木の果皮から作られる脂肪で、採取したままのものを生蝋(きろう)、漂白したものを晒蝋(さらしろう)と言います。 |
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笠島集落は、丸亀港の北方約9kmに位置する本島の東側にある港町。かつて海運業で栄えた船方衆が富を誇示するように粋を凝らした屋敷を建て、本瓦葺になまこ壁、古い土塀や格子窓……江戸・明治の建物がそのまま現存し、国の伝統的建造物群に指定されています。マッチョ通りやトウショジ筋など街路は外敵をまどわすため複雑に入り組んでおり、離島では全国的にもめずらしいもの。 |
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瀬戸内海にテ−ブルのように突き出した屋島は、瀬戸内海有数の展望地。眼下には源平合戦の哀愁を秘めた檀ノ浦古戦場や五剣山、そして瀬戸内海に沈む慾景から高松市の夜景と、素晴らしい景色が見る者を圧倒します。山上には、四国霊場第84番札所・屋島寺やアシカショ−などが見物できる屋島山上水族館があります。 |
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四国八十八箇所霊場第二十三番札所で主に厄除けの寺として名を馳せているようです。(醫王山無量寿院)薬王寺は神亀3年(西暦726年)聖武天皇の勅願を受け行基菩薩が巡鍚をし建立されたと言われています。また、寺名にある薬王とは、薬の王であることを意味しているそうです。 |
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国の重要文化財が6つもあり、遍路の元祖とも言われた衛門三郎ゆかりの寺としても有名で、その周辺の「おやき」と言われている焼きもちは、この寺の名物でもあるそうです。その上、なんと言っても、この石手寺の近くには、名泉でも知られている道後温泉の存在もあり、遍路の他にも観光客なども賑わいを魅せているようです。 |
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弘法大師が製麺技術を伝えたと言われている特産のさぬきうどん発祥の地。また、現在では、香川県をうどん県との噂も高く浸透されており、麺は腰のある、どちらかというと太麺を塩ベ−スの透き通った出汁で日本全国から足を運んで来県し食されているようです。 |
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日本国内に於いて、現在では希少的な価値にもなっているのではないかと思える路面電車。四国内では、ここ高知県とお隣となる愛媛県での2箇所になっているかと思えます。また、外国製のチンチン電車とか昭和初期に製造された維新号電車の運行も行っているようですが、しかしながら、貸切もしくはイベントのみとなっているようですので、乗車を希望される場合、とさでん交通にてお問い合わせされてみてはいかがでしょう。 |