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阿讃山脈を分け入る柞田川上流に建設された「豊稔池堰堤」。長い年月に風雨がさらされていた堰堤は、中世ヨ−ロッパの古城も感じさせられる威容と風格をも備え、見事、四季折々にとけ込ませているような景観が観られることだと思えます。堤長145.5m、堤高30.4mのコンクリ−ト造溜池堰堤には、両竹部は重力式で中央部あたりにはア−チ5個と6個の扶壁(ふへき|バットレス)となるマルチプルア−チ式が、先駆的で希少な構造の形式が農業土木史上価値も高く、また、昭和前期における堰堤建設の技術的で達成度においても高く示され、平成18年12月19日(2006年)には重要文化財(建造物)として指定されたようです。 |
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香川県下で運営している私鉄電車「高松琴平電気鉄道」会社は、三つの路線[琴平線・志度線・長尾線]を保有し地元の人たちには通称“ことでん”と呼ばれています。※その長尾線の一部の時刻表を公開しております。 |
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手結岬の八大龍王宮の南辺りに浮かんでいる締縄で結ばれた1対の荒波に揉まれてた岩なのですが、日本全国各地にある夫婦の岩の中でも二つの岩がほぼ同じ大きさとなっている「男女同権型」というのは、非常に珍しい存在でもあるようです。また、潮時に拠っては見学される角度により風情が異なっているようでもあるので、時間がある様であれば、浜に降りきっての鑑賞をされてみては如何でしょうか。 |
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四季折々なイベントなども用意して観光客へのおもてなしなども実施している小豆島オリ−ブ公園は、オリ−ブはもちろんの事、瀬戸内海国立公園でもあり瀬戸内の穏やかな気候に和まれて見物される方も多く、画像にある風車前には記念撮影を行う観光客も大勢で、本来であれば魔法の箒(ホウキ)を持っての撮影される方も多々目撃していたのですが、残念なことに、今回は魔法使いはいらっしゃらなかった撮影になってしまった様です。とは言え、その「魔法のほうき」。実は、無料でのレンタルも行っているらしく、記念館にてお問い合わせされてみても良いように思えます。また、画像にあるギリシャ風車以外でも雑貨コリコ・世界のオリ−ブの遊歩道・オリ−ブの路・オリ−ブ発祥の地碑・エリエストロ−ダ・ふれあい広場・ハ−ブガ−デン温室など、その他十店余りに及ぶ会場もあるようですので、1時間程度の船旅を満喫しつつ訪れては如何でしょうか。 |
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標高1982m、西日本最高峰。山岳信仰の修行場として名高く全国七霊山のひとつに数えられる。瀬戸内海側からはロ−プウェイ、面河渓からは石槌スカイラインが開通しており、毎年7月1日から10日の“お山開き”には全国10数万人の信徒で賑わいます。 |
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中世ヨ−ロッパの古城を思わせる偉容と風格をほこる石造ダム。堤長128m。堤高30m。大正15年に着工、昭和5年に完成。えん堤に複数のア−チを組みあわせたマルチプル・ア−チ方式を採用し、現存する同方式ダムは全国でもこの豊稔池だけ。その技術は高く評価され、近代ダム建築の先駆けとなった画期的工法を今につたえる貴重な存在として、国の文化財建造物に登録されています。 |
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松山市内でのんびりと満喫したいのなら路面電車にて乗車されてみるのも「乙」なのかもしれません。また、特に人気が昇っているのが「坊っちゃん電車」なのかもしれません。しかし、今回の画像は、その路面電車ではなく一般的な電車になってしまっています。何度か松山市内へ訪れたこともあるのですが、その当時、自家用車だったので路面電車への乗車は行っていませんでした。m(_ _)m とは言え、30年ほど前だったでしょうか?車道にて走行するチンチン電車での目撃をしたような記憶は微かに残っているようです。近年、掲載している画像にある路面電車を、最後に乗車したのは、残念なことに四国内ではなくて広島市内だったように思えます。どのような時代に移り変わろうとも、このような遺産的な画の継承は行いつつ、いつまでも走り続けていただきたものだと思います。 |
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壷井栄の名作「二十四の瞳」の舞台となった岬の分教場。昭和29年、木下恵介監督、高峯秀子主演により映画化され、小豆島の名を全国に広めました。廃校になった今も当時のまま保存され、日本では珍しくなった木造の校舎や木の机、オルガンが、訪れる人をあたたかく出迎えてくれるでしょう。 |
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徳島県の中東部、標高1019mの旭ヶ丸頂上付近から東にスロ−プを描いてひろがる大川原高原は、詩情ゆたかな大自然ふれあい満喫スポット。近くの大川原牧場では、季節には牛が草を食む風景に出会えます。また、天気のよい日には展望台から大パノラマを一望。長期滞在型リゾ−ト施設として誕生した大河原高原ふるさと村もあり、さわやかな高原の風を感じながらリフレッシュできます。 |
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「たらいうどん」とは、その名のとおり、たらいを器にした釜揚げうどんで野趣ゆたかな郷土料理。もともとは香川県境に近い奥宮川内の渓谷美を楽しみながら、野外で茹でたうどんをたらいのような飯盆に入れ、大勢がつけ汁を入れた各自のどんぶりにすくいあげて食べるものだったといわれます。また、江戸時代に村の寄合いや農繁期の共同炊事からはじまったともつたえられています。 |