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今治の北竹と大島の間に位置し、潮流の速さは鳴門海峡以上と言われています。近くには、桜の名所・波止浜公園や伊予水軍の城砦跡もあります。また、瀬戸内海大橋の架橋地点近くに来島海峡展望館が完成し、来島海峡を一望できます。 |
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松山市内でのんびりと満喫したいのなら路面電車にて乗車されてみるのも「乙」なのかもしれません。また、特に人気が昇っているのが「坊っちゃん電車」なのかもしれません。しかし、今回の画像は、その路面電車ではなく一般的な電車になってしまっています。何度か松山市内へ訪れたこともあるのですが、その当時、自家用車だったので路面電車への乗車は行っていませんでした。m(_ _)m とは言え、30年ほど前だったでしょうか?車道にて走行するチンチン電車での目撃をしたような記憶は微かに残っているようです。近年、掲載している画像にある路面電車を、最後に乗車したのは、残念なことに四国内ではなくて広島市内だったように思えます。どのような時代に移り変わろうとも、このような遺産的な画の継承は行いつつ、いつまでも走り続けていただきたものだと思います。 |
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“さぬきのこんぴらさん”として親しまれる金刀比羅宮は、海の神様として有名です。785段の長い石段を登ると、いままでの疲れを労うように御本宮が出迎えてくれます。現在も全国の庶民に親しまれる身近な金刀比羅宮には、人の姿の途絶える時がありません。 |
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宇佐神社と八幡池を中心とした亀鶴公園。春、池の中央にある亀島へと続く長堤には桜が咲き誇り、ひととき桜の世界へと誘います。また、八幡池には、ライトアップされる噴水があり、夜にも違った表情を見せてくれます。 |
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古来より吉野川とともに徳島を見守り続ける眉山は“眉の如雲居に見ゆる阿波の山……”と万葉集に詠まれたことにその名が由来するといわれる優美なシルエットの秀峰。絶景が楽しめるビュ−ポイントとして知られ、標高 277mの山頂には展望台のほか、徳島をこよなく愛した明治・大正時代のポルトガルの外交官で文筆家モラエスの遺品や作品などを紹介するモラエス記念館などがあります。 |
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ビロ−やアコウなどの亜熱帯植物がおい茂る足摺岬。その自然遊歩道の中を約2kmにわたってつづく椿林のトンネルがあります。夏は涼しい木陰をつくり、冬には色あざやかな真っ赤な花にいろどられます。見ごろは2月中旬から下旬まで。別名ロマンス歩道とも呼ばれており、ロマンチックム−ド満点。開花期間中は足摺椿まつりも開催され、春をよぶまつりとしてひろく知られています。 |
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濠に海水を引き入れた、日本三大水城のひとつ、高松城跡。現在は、JR高松駅にもほど近い、白壁と石垣、書院や櫓などがひっそりと残る、緑豊かな玉藻公園として人々に親しまれています。写真は、東口から旭橋を渡ってすぐの艮櫓です。 |
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“扇の勾配”と形容される4段階に積み上げられた高さ60mにもおよぶダイナミックかつ優雅な日本一の石垣で知られる名城。国指定の史跡。慶長2(1597)年に生駒親正により築城され、その後幾多の歴史を経て明治時代にいたるまで京極氏の居城となっていました。3重3層の天守閣は現存する木造12天守閣のひとつで貴重な存在。天守閣・大手一の門・大手二の門は国指定の重要文化財。 |
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土佐が生んだ幕末の風雲児・坂本龍馬。その偉大な業績と波乱に満ちた生涯を紹介する龍馬ミュ−ジアム。館内では、疾風・葛藤・燭光など7つのステ−ジを設定し、ゆかりの書簡や遺品などを展示するほか文献やパネルなども用いており、龍馬の活躍を分かりやすく学ぶことができます。ハ−フミラ−総ガラス張り仕様のユニ−クな外観なので目前にひろがる太平洋の眺めも満喫できます。 |
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阿讃山脈を分け入る柞田川上流に建設された「豊稔池堰堤」。長い年月に風雨がさらされていた堰堤は、中世ヨ−ロッパの古城も感じさせられる威容と風格をも備え、見事、四季折々にとけ込ませているような景観が観られることだと思えます。堤長145.5m、堤高30.4mのコンクリ−ト造溜池堰堤には、両竹部は重力式で中央部あたりにはア−チ5個と6個の扶壁(ふへき|バットレス)となるマルチプルア−チ式が、先駆的で希少な構造の形式が農業土木史上価値も高く、また、昭和前期における堰堤建設の技術的で達成度においても高く示され、平成18年12月19日(2006年)には重要文化財(建造物)として指定されたようです。 |