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丸亀藩主京極家の別館跡で、中央に琵琶湖と近江八景を模した八景池を置き、それらを橋で結んだ回遊式の大名庭園です。園内には、バルビゾン派の名画を集めた絵画館、ペルシャ陶器などを展示した陶器館、江戸から大正時代の雛人形などを集めたひいな館などがあります。 |
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1602(慶長7)年、築城。二ノ丸・三ノ丸を従えた連立式平山城。城内は、松山の歴史を伝える資料館です。屋根の反りがないのが特徴。頂上までは、ロ−プウェイでも“登城”できます。 |
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瀬戸内海国立公園の一角にある風光に恵まれた県立公園で“道の駅”にも登録されている憩いの場。園内には、白砂青松の有明浜、東西122m・南北90mにもおよぶ巨大な砂絵「寛永通宝」、四国霊場88ヶ所第68番札所神恵院・第69番札所観音寺などのほか、琴弾山頂からは瀬戸内海と美しい海岸線を一望。有明浜は遠浅で絶好の海水浴場として知られ季節には大勢の人びとでにぎわいます。 |
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村の東北部山腹にあるウバヒガンザクラの古木。県指定の天然記念物で、根回り約8m・樹高約30m・樹齢は約500年。花のつぼみの形がひょうたんに似ていることからこの名がついたといわれ、春ともなれば、あたり一面を薄桃色に染めるように四方にのびた枝いっぱいに可憐な花を咲かせます。見頃は4月下旬から5月上旬。県内外からも花見客が訪れて満開の花のもと宴が催されます。 |
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土佐和紙発祥の地として知られる伊野町は、早くから製紙の技術がつたわり、藩政時代には藩の御用紙の製造地として保護をうけた土佐和紙のふるさと。「土佐和紙工芸村」は、この地に育まれた和紙文化だけでなく和そのものがテ−マの滞在型カルチャ−リゾ−トゾ−ンです。白壁の蔵が立ち並ぶ村内は、紙漉きや炭焼き体験、クアハウス……1日では満足できない楽しさが盛りだくさん。 |
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1000人を超える裸の男たちが1年の福をかけ、雌雄2本の宝木を奪い合う勇壮な祭典。当日の夜、会場となる総本山善通寺の境内は、締め込みひとつの男たちがあらんかぎりの力と技をつくしてあらそう熱気にあふれ、見物客をもまきこんだ興奮の一夜が展開されます。開催日は毎年2月下旬。400年以上の歴史と伝統をほこり、“はだかまつり”とも呼ばれ、季節の風物詩となっています。 |
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道後公園のほど近くにあり、古くは湯月八幡と称し延喜式にも列した古社。本殿は寛文7(1667)年、4代松山城主松平定長が造営したもので、楼門・回廊・申殿・本殿からなる典型的な八幡造り。国指定の重要文化財。造営にあたっては山城男山八幡宮の規模を模したといわれており、現在、京都の石清水八幡宮・大分の宇佐八幡宮とともに全国で3つしかない貴重な八幡造り建造物です。 |
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四国霊場1番札所。天平年間(729〜749年)に、聖武天皇の勅願により僧行基が開基したと言われ、いまも“一番さん”の愛称で親しまれています。入母屋造の仁王門をくぐれば、静かなたたずまいの古刹が開け、四国八十八カ所巡りへの思いを新たにします。 |
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四国四県は海に囲まれている為、現在では三架橋に本州・淡路島へと繋がってもいますが、数十年前まではフェリ−などに乗船しなければ渡ることができませんでした。また、特に瀬戸内の海は、非常に穏やかで小さなお子様などにも安心性の高い海水浴場だった記憶もあり、船への揺れに対しても同様な状況を思い浮かべています。 |
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四国霊場88ヶ所第51番札所・石手寺の境内で静かにたたずむ三重塔は、国指定の重要文化財。3間3層、屋根は本瓦葺きで、宝珠・水焔・九輪・請花・覆鉢・露盤からなる鉄製相輪があります。屋根の反りも軽妙で、手法にはほとんど唐様がみられず、各層の均整のとれた調和も見事。その手法から楼門と同時代に建てられたといわれ、鎌倉時代の三重塔として県下唯一のものとなっています。 |