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上芳我家は、晒蝋の生産で繁栄した本芳我家の分家にあたり、その邸宅が木蝋の資料館として保存されています。旧家が残る内子町内でも、最も風格がある上芳我邸(国の重要文化財に指定)は、江戸から明治時代にかけての木蝋産業の隆盛をいまに伝えています。※木蝋は、ハポの木の果皮から作られる脂肪で、採取したままのものを生蝋(きろう)、漂白したものを晒蝋(さらしろう)と言います。 |
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内子座は大正5年2月に創建された瓦葺入母屋造の歌舞伎劇場で、廻り舞台・花道・桝席など本格的形式を備えたものです。昭和60年10月に見事復元され、今も内子町民の文化芸能活動の場として利用されています。 |
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あくまでも画像での閲覧なのですが、全くもって「雲の上の町」らしい景観のようです。町面積の内91%が森林を覆っており、標高1455mにも及ぶ広大な四国カルスト高原に抱かれてもおり、手つかずの自然豊かな小さな町には南に太平洋、西側には瀬戸内海が眼下に拡がっているようです。 |
![松山城[2] 松山城[2]](459images/2-47.jpg) |
緑の樹木に囲まれて静かにたたずむ白亜の天守閣は松山のシンボル。その雄姿はかつて瀬戸内海を航行する船からも遠望できたといわれています。3重3層・地下1階・屋根瓦葺き。小天守閣と回廊によって結ばれた独特の構造をなし、ここからは市街地や瀬戸内海の絶景を一望。あたり一帯は城山公園として整備されており、観光客はもちろん市民の憩い のスポットとして親しまれています。 |
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愛媛県宇和島市から九島にふかさ30メ−トルに架けた橋で、ベルタイプ式橋脚基礎で設置され水のふかさとしては日本国内において最大規模でもあるそうです。2016年4月に開通されフェリ−から橋へと変貌されたので、人生に於かれても変化させざるを得なくなってしまった方もいらっしゃるのかもしれません。自転車でも十数分程度で渡ることもできるので、春・夏・秋・冬へと、それぞれ楽しめる「宇和島の楽園 九島」(宇和島市観光物産協会)へ足を伸ばされてみては如何でしょう。 |
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大正11年に、久松家の別邸として建てられたフランス式洋館。美しい外観とともに、ロココ調のインテリアやステンドグラスにも大正のロマンを伝えています。現在は、県立美術館分館として利用されています。 |
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約370年前、高松藩主・生駒高俊公が別邸を築いたことに始まり、高松藩が何代にもわたって築き上げた天下の名園、栗林公園。回遊式大名庭園「南庭」とやや近代的な趣の「北庭」に分かれ、“たいこ橋”の愛称で親しまれる偃月橋がかかる池には、優雅に鯉が泳いでいます。 |
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東西約50kmの日本で最も細長い半島。瀬戸内海と宇和海に突き出た半島には、みかん畑とのどかな漁村風景が続いています。国道197号バイパスは、佐田岬メロディラインと呼ばれ、半島を貫くように走ることができます。 |
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弘法大師生誕の地として有名な真言宗善通寺派総本山、四国霊場第75番札所。東院と西院からなり、東には金堂・五重塔・鐘楼、西には(大師が生まれた)御影堂を中心に諸堂が立ち並びます。西の宝物館には「一字一仏法華経序品」などの国宝が培められています。 |
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宇和町との境にある標高420mの野福峠はつづら折りが7kmもつづく峠道。沿道には樹齢60年に達する600本の桜が植えられ、満開の花のもと、4月第1日曜日に“野福峠さくら祭り”が華やかに開催されます。オ−プニングセレモニ−は野点や琴の演奏など。特産品販売所も設けられ、フォトコンテストや福引……多彩なイベントが目白押し。俵津文楽会館では文楽の上演が行われます。 |